マキノピックランド(滋賀県高島市2016/09)

~全長2.4kmのメタセコイア並木が有名です、50年以上の歴史がある大規模農業公園~

 

琵琶湖の北岸に広がる広大な公園です。

果樹園、産直ショップ、お土産&レストラン、グランドゴルフ場、野球やサッカーができる多目的グランドなどで構成。

現在の主要な施設は1999年に完成しているで、今どきのバリアフリー施設ではありません。それでも、車椅子での利用に大きな問題はありません。

 

駐車場は広大。後付の障害者用駐車区画が設定されています。

駐車場からメイン棟である「センターハウス」方面に向かうルートは段差構造で、迂回スロープが設置されています。

このあたりで早くも、20世紀の施設の匂いがプンプンするバリアフリーレベル。施設全般にわたって、そういうイメージで間違いはありません。

 

駐車場からスロープ利用で、一段高い施設のあるエリアに到着。このエリアに「野菜直売所」「レストラン」「センターハウス」の3棟があります。

 

「野菜直売所」は30坪ほどの小型の施設。広さに余裕がないので、車椅子で店内回遊は快適とはいえません。

 

「レストラン」はホール60席、テラス60席の規模。段差解消スロープがあり、可動式のテーブルと椅子席なので、車椅子での利用は可能です。

マキノピックランド

「センターハウス」には、お土産ショップ、ソフトクリーム屋さん、自由に使える休憩コーナー、授乳室などがあります。

この建物は大きくて広い。内部の通路も余裕がありますが、残念ながら入口の第一ドアは手動ドア。車椅子利用で不便を感じるのはここだけです。

この地は冬期降雪エリアなので、防寒対策もあって手動ドアなのかもしれません。

 

トイレは、独立一戸建て方式の公衆トイレが2か所ありますが、「センターハウス」にもあり、障害者用トイレが併設されています。ややくたびれたトイレですが、実用には耐えるので安心してご利用ください。

 

グランドゴルフ場と野球やサッカーができる多目的グランドは、「センターハウス」の裏側に広がります。

ぶどう、栗、りんごなどの各種の果樹園は、道を隔てた反対側の敷地に広がります。

そしてこの道が観光名所である全長2.4kmの「メタセコイア並木」です。

 

今や滋賀県を代表する観光ポイントとして紹介される「メタセコイア並木」。ドライブルート、サイクリングロードとして、絶大な人気を誇ります。

 

確かに大迫力の巨木の並木。植林されたのは1981年から1982年。それほど昔ではありません。

成長の早い、そして成長が止まらないメタセコイアです。10年後にはさらに高く大きくなっているはず。米国には高さ100mの巨木もあります。

すくすく育って、オンリーワンの観光スポットとして、更に迫力を増してもらいたい「メタセコイア並木」です。

 

この施設は1961年に、国の開拓パイロット事業の認定を受けて、67haの栗園が整備されたのが起源です。

1971年に観光栗園を開業。

1976年に、現在の運営法人が設立されて民営化。

1999年に「センターハウス」など、現在の主要施設が誕生。いまだに、年々観光果樹園の面積は広がっています。

果樹園自体はバリアフリーではありません。一般的なオフロードの果樹園をイメージしてください。

 

雄大な施設です。琵琶湖近くの立地ですが、「メタセコイア並木」は日本の風景とは思えないモノ。「マキノピックランド」その観光拠点になります。

 

やや設備は古く、経年劣化を感じますが、車椅子での休憩は可能です。一昔前のバリアフリー水準であることをご理解の上、上手に車椅子でご利用ください。

今津ヴォーリス資料館(滋賀県高島市2016/09)

~大正12年築の銀行です、2000棟以上の建築を手がけたヴォーリスを学ぶ資料館~

 

青い目の近江商人、ウィリアム・ヴォーリス。宣教師であり、建築家であり、近江兄弟社の創業者です。

 

彼の設計で大正12年に建設された百三十三銀行今津支店の建物が、資料館として無料公開されています。駐車場あり、やや段差はありますが車椅子での入館可。障害者用トイレはありません。

今津ヴォーリス資料館

2階建てのそれほど大きくはない建物です。建物の出入口に低い段差あり。

1Fが公開されていて、建物内部の壁面周辺にヴォーリスを学ぶ各種の資料が展示されています。フロア中央部は、テーブルと椅子が設置されている、カフェ機能もある市民のための自由スペース。車椅子での見学は快適、というほどスペースに余裕はありませんが、十分に可能なレベル。館内の床面はフラット。車椅子での館内移動は可能です。

 

ヴォーリスは活動の拠点を近江八幡においていたので、滋賀県界隈には多くの建築物が現存しています。

関東地方では「山の上ホテル」「主婦の友社」「東洋英和女学院」などが有名。生涯で2000棟以上の建築を手がけました。「今津ヴォーリス資料館」では、それらの建築物の写真パネルと解説、ヴォーリスの経歴年表などが展示されています。

 

ヴォーリスの略歴です。

明治38年に25歳で英語教師として来日し、滋賀県商業高校に赴任。近江八幡を拠点にキリスト教の布教、建築設計、のちに近江兄弟社になる製薬会社を設立、結核診療所を設立、図書館を開設、出版活動も行い、昭和16年に日本国籍を取得。昭和33年に近江八幡市の名誉市民第一号となり、昭和39年に84歳でその生涯を終えました。奥様はもちろん日本人です。

 

「今津ヴォーリス資料館」の建物の略歴です。

大正12年に百三十三銀行今津支店として建設され、昭和53年まで銀行の支店として使われました。その後町が買い取り、翌昭和54年からは町立図書館になり、平成13年まで図書館として利用。保存活用することが決まり、建設当初の姿に修復工事が行われ、平成15年から資料館として公開されています。

建築されてから約80年間にわたって、銀行、図書館として実際に使用されてきた建物です。国の登録有形文化財指定。見る価値があります。

 

ただし、建物自体のスペースは小さく、加えて、市民の交流の場としての機能も追及しているため、展示されているコンテンツは、それほど充実しているわけではありません。この点はやや食い足りない感も。もっと深い展示内容で、ここに来ればヴォーリスの全てが解る専門的な展示企画のほうが、望ましいと思います。

 

せっかくの築93年の歴史的建造物。建物の在り様を変えるようなバリアフリー改修は望みませんが、資料そのものの充実は、もう一段上のレベルになることを期待します。

高島びれっじ(滋賀県高島市2016/09)

~さすがに車椅子では苦戦します、古い家屋をリノベーションした城下町の町興し~

 

旧城下町「大溝」に残る古い町並みを活用した町興し企画です。

高島びれっじ

企画誕生から20年。現在では1号館から8号館までの陣容。最古の建物は「びれっじ2号館」で、築250年江戸時代の醤油屋。そこにパン屋、食事処、美容院が入店。こういうイメージの一角です。

古い町を残しているので、素敵な雰囲気なのですが、さすがに車椅子では苦戦します。

 

無料駐車場が3カ所用意されています。2か所は確認しましたが、障害者用駐車区画の設定はありませんでした。車椅子の乗降は、空いていれば問題はないでしょう。

 

「高島びれっじ」の中央を通る県道300号線は、交通量は少ないのですが、歩道の整備はありません。

「高島びれっじ」全体、車椅子で通行しやすいバリアフリーな歩道はなし。路面の凹凸、車の通行に気を付けて、「高島びれっじ」内を移動してください。

重厚な江戸商家、大きな水車など、ソソラレル光景が見えてきます。

 

さて、「高島びれっじ」の店舗のご紹介です。

1号館は地区170年以上の商家をリノベーションしたキャンドル工房。家屋の出入り口は段差あり、です。

 

2号館は前出の通り、パン屋、食事処、美容院が入店。大きな石の水車「石輪」がある、「高島びれっじ」を代表する建物です。

建物への入館、「石輪」がある庭へは、車椅子で歯が立たないことはありませんが、各所に障害物やデコボコがあるので、かなり苦戦します。車椅子では、気合を入れて、行けるところまで、というイメージです。

 

3号館は有名なお菓子屋さん。ここは江戸ではなく、大正ロマンのイメージ。残念ながら店内へは3段ほどの段差がありスロープ対応なし。車椅子のままの入店はできません。

また店内のスペースも余裕がないため、仮に介助者が力技で車椅子を持ち上げて入店しても、ほとんど車椅子では動きがつかない状態になります。

つかまり立ちや介助歩行が出来る人なら、店内に椅子があるので、何とかなるかもしれません。

 

4号館は染織体験のお店。5号館と6号館はカフェ。この3店舗は、石畳み風のデコボコの通路に面しているので、店の前に車椅子でたどり着くところで苦戦します。更にお店の出入口、店内もバリア構造。車椅子での利用はかなり苦戦します。

 

7号館はロッククライミングなどのアウトドア体験の受付のお店。したがって車椅子利用者には縁遠いお店です。

 

最後の8号館はカフェとサロン。8号館は2号館の敷地の奥にある蔵をリノベーションしたお店。たどり着くまでがガタゴトのオフロード。出入口はバリア。サロンは2Fで階段のみ。なかなか車椅子での利用は、根性が必要なお店です。

 

全店を実地調査していませんが、全館全店、おそらく障害者用トイレの用意はありません。とても魅力的な雰囲気の町興し企画ですが、車椅子利用者にとってはこのような状況です。ご理解の上でお出かけください。

高島びれっじ

1995年に、現在の2号館の解体が計画され、地域の若者たちが立ち上がり、手弁当で再生利用を進めたのが「高島びれっじ」の発端です。

 

「高島びれっじ」に置かれていたパンフレットをみると「この20年、道の駅の台頭などで高島びれっじを取り巻く環境は大きく変わった」と記載されています。

確かに近隣には、なんでこんなにあるのか、というくらい「道の駅」があります。「高島びれっじ」の商業上の敵は「道の駅」のようです。

 

車椅子利用者にとっては、「道の駅」の方が利用しやすい。バリア施設「高島びれっじ」の再活性化策としては、中央を通る県道300号線を歩行者天国にするくらい大胆な施策が必要でしょう。

 

折角の町興し企画です。「道の駅」パワーに押しつぶされないように、是非とも頑張ってください。